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0093 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 93 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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いといふ種族として見るべきものである、勿論綴字として記されなわけで、この碑文は回鶻語と見るよりも、Sogd 語と見るべきものである、Sogp といへば、勿論以字として記されなわけで、この碑文は回鶻語と見るよりも、Sogd 語と見るべきものである、Sogp といへば、勿論
以上述べた様なわけで、この碑文は回鶻語と見るよりも、支那史に要求、粟特などと書いていてば、此地方の言葉で書いたものが盖かのは Zaranj Hirth Samarkand を中心とした一帯の地方をいふので、支那史に要求、粟特などと書いていてば、此地方の言葉で書いたものが盖か
東の外蒙古地方に蔓延して居るといふのは、不思議に思はれると共に、また其面白さと、此地より漸次傳播の道三世紀に波斯方に蔓延させられた居るといふのは、不思議に思はれると共に、また其面白さと、此地より漸次傳播の道
を求めた様東方の民族の間に布教したのもとより此地方の僧侣の通用語であって、従がって今日新疆地方から眺見せらる、史料について考かて見ても此言葉が当時の摩尼教僧侣の通用語であったと思はれる、而し
て唐に景尼延載の頃もしくは玄宗開元の頃に此教が入るより以前に此地方の僧侣の通用語であったと思はれる、而し
たのである、漢北回鶻の碑文もしくは玄宗開元の頃に此教が入るより以前に此地方の僧侣の通用語であったと思はれる、而し
て居るのである、また此理由の外なら、そうして此ことが見えて居るのは即ち此寄にトルコ種系の通用語であって、従がって今日新疆
り以前既に一八九三年に挙られてあった東方の摩尼教の消息が今日では漸次明らかになって来たのであるが、今また
従来共だ曖昧の間に挙られてあった東方の摩尼教の消息が今日では漸次明らかになって来たのであるが、今また
此文献の新解釈によって此宗教と共にその本國の國語の東漸に就ても漸次明らかになって来たのであるが、今また
の述べ起すに至ったのは僕めて快心のこと禁いいふべきである。

(戯文第三年第一號、明治四十五年一月)

四三