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0104 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 104 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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じましてからは、一々其の僧侶と相談をして執り行ふやうな譯でありまして、非常に熱心な教徒となりました。支那の方に此の教を擴めて彼方此方に寺を建てましたのも、全て此の民族の力であります。唐代彼等が摩尼教を信じて居つたといふことは色々の本に書いてありますが、同時に彼等が佛教徒でもあつたと云ふ記事は佛教徒から見ますと、唐書以下、唐代の時代の歴史を書きましても、後に宋の時分に支那に就いて見ましても、ウイグル族は佛教徒であるといふことは書いていないのでありますが、一方カラシャンのウイグルの所へ佛教徒が居ましたといふことを書いて居ります。澤山の佛寺を調べることが出来、其の寺には唐時分に貰つた勸額があると云ふやうなことを書いて居るので、やつと其の地の有様を相像することが出来ます。其の他の寺には争はれない證據であると見られた人の像を書いてありますが、其の名がウイグル文字(カガン)のことを省略してあるのでありますが、これが報告に依りますと、或る寺には其寺を認むることが出来ませぬ。實際其の地が書いてあつて、詳しく申上げますると長くなります、何故致しますと、時代の人であることは争はれない證據であると見られた人の像を書いて居りますが、道理のないことではありませぬ、元此北の民族が佛教を信じるとの間にかかる相違があるとも云ひますと彼等が居つた時代でなく、高昌に移つてから以後に佛教を信ずるようになりましたのは、初めの中はシャマン教を示して居り、其の後摩尼教の信徒となつて、九世紀の中頃に、外蒙古に居つた時には、初めの中に相違ない、何故ならば彼等の前に其の地に居りましたと彼等の後摩尼教の信徒として空厥民族でも、又た其の他の民族に相違ない、何故ならば彼等の前に其の地に居りましたと彼等の後摩尼教の信徒として空厥民族でも、又た其の他まで居つた時には、初めの中に相違ない、何故ならば彼等の前に其の地に居りましたと彼等の後摩尼教の信徒として空厥民族でも、又た其の他に付きのものでも、此の邊に居つた民族に佛教を信じたと思はれるものは一つもないのであります。尤も空厥積族に付き

五四