National Institute of Informatics - Digital Silk Road Project
Digital Archive of Toyo Bunko Rare Books

> > > >
Color New!IIIF Color HighRes Gray HighRes PDF   Japanese English
0105 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 105 (Color Image)

New!Citation Information

doi: 10.20676/00000267
Citation Format: Chicago | APA | Harvard | IEEE

OCR Text

ましては、たった一つ佛教な信者を連れに隣って、其僧侶の勸めに依て、寺を一つ建立したと云ふ可汗の時に支那に乗め込んで、
即ち佐鉄と云ふ可汗の時に支那に乗め込んで、

北齊の國から思珠といふ僧侶を連れに隣って、其僧侶の勸めに依て、寺を一つ建立したと云ふ記事があります、即ち佐鉄と云ふ可汗の時に支那に乗め込んで、
すが、それが其後引續いて發達したと云ふやうな①これは同じ突厥連可汗と云ふの時に支那に乗め込んで、
盛んであったとは思はれませぬ、其の後開元年間には同じ突厥連可汗と云ふの時に支那に乗め込んで、
してて佛教を入れようとした、所が其の臣下に嗷谷と云ふ人があって、佛教は人を弱くして仕舞ふものがある、さ
うい人ふものを入れては國の破滅になるからといふので之を拒むウイグル族が俺に入れなかった、佛教は他の部族に對して拒む態度を執
つたものであります、直て其の後に、同じ土地に擁ったウイグル族が俺に入れなかったとは思
へないのであります、又彼等の教徒を擴張して來て、遂に彼等の間に入ることになったれ教は當時変
通達の事情に伴すます其の教徒を擴張して來て、遂に彼等の間に入ることになった、それで北の方
に居ります時分には、前に有名な仏教の行はれた國でありまして、支那に其の地方に居った民族と同じやうに信じかかった、所が彼等が西に移って落ついた高
昌の地方は、昔から有名な仏教の行はれた國でありまして、支那に其の地方に居った民族と同じやうに信じかかった、所が彼等が西に移って落ついた高
昌の地方は、昔から有名な仏教の行はれた國でありまして、支那に其の地方に居った民族と同じやうに信じかかった、所が彼等が西に移って落ついた高
ことが澤山見えて居ります、そこで自然新來のウイグルの民族も後前の摩尼教を信ずるものゝ外に、亦た佛教をも
信ずるものがあるに至ります、然るに唐の方では平素、天寶の初め頃から西域との交通が盛になりま
して、チベット人種など盛勢力を振って居ましたから、其の地方の事情を知ることが出来ないで、烏め記營などとも開元の末、天寶の初め頃から西域の記事は殆んどありませぬ、況んや其の宗教などについて記して居

高昌に移って後のウイグルの事情も唐代の記録によっては全く分り兼ねませぬ、況んや其の宗教などについて記して居

五五