National Institute of Informatics - Digital Silk Road Project
Digital Archive of Toyo Bunko Rare Books

> > > >
Color New!IIIF Color HighRes Gray HighRes PDF   Japanese English
0220 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 220 (Color Image)

New!Citation Information

doi: 10.20676/00000267
Citation Format: Chicago | APA | Harvard | IEEE

OCR Text

一五八

後に囘閒文を記して居るが、兩者の關係を見ると、第一卷(Ch. xix. 001)に於ては所記の漢文は、直接に譯出せらる、囘閒文の首部であつて、囘閒文は此等僅かづゝ記さるゝ漢文よりも、遙に多くの字句の譯である。ところ
で此等の漢文の字句は、其の出所を求めて見ると、囘閒文實義疏の本頌や長行との字句の摘出されたものであることが分る。さうして其の下に記さるべきものゝ外は、皆
漢譯倶舍論の本頌と長行の一句或は數句の、その「釋曰」の下に括せられぬことが認められる。たゞ漢
譯倶舍論に存する字句に始まる本頌や長行の一句は、極めて忠實な譯述に外ならぬことが認められる。
各々此等の字句に始まる本頌や長行の一句は、囘閒文實義疏の安慧の實義といふものは、即ち倶舍の本頌と長分に於所に
か、此の囘閒文實義疏の基づいた漢文の安慧の說明の形により、時には間答の形に基づいた漢文の安慧の實義を極めて忠實に譯出されたものであるか否かを施した體裁のものであつ
「釋曰」として、時には極めて忠實に譯出されたものであるか否かを施した體裁のものであつ
たことを認め得ると思ふ。此の釋の部分が展開文に拠れど却く極めて忠實に譯出せられ、その結果には或は無論然
とは無疑なまでに至つて居ることから考へると、この釋の部分に限つてその體裁を更めるべき理由は或は無く、必ずまた
無疑するまでに至つて居ることから考へると、この釋の部分に限つてその體裁を置かねばならぬことは、今日偈語本來の無論法を
ては、ただそれだけを認めるに過ぎないと思ふ。ただしかし斷じて置かねばならぬことは、今日偈語本來の無論法を
同樣であつたらうと認め過ぎることから、後に括げる部分が展開文に拠れど却く極めて忠實に譯出せられ、その結果には或は無論然
てし、その一部分だけを譯出し、他は省略してしまつた所もある。例へば某品の「有漏無漏法」の一偈を譯しただけで、其の他に別得非譯
「漏」の頌については、本贊卷一の八十七枚牧裏に、最初の「有漏無漏法」の一偈を譯しただけで、其の他に別得非譯
が如きはそれである。之は原本になつた漢譯本が既にかゝる體裁であつたのか、何れとも定め難い。
て、頌についてはかゝる省略を施すに至つたものか、何れとも定め難い。