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0289 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 289 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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Asiatique, 1897) されと此字義に就いては、宋の決遇風く之を読き、二宗とは明暗の二者を指せるものなると
せると、彼のペイオ氏の論述せるが如し、(Bulletin de l'Ecole Français, 1932) 只だ茲に注意すべきは、二
宗の字が明暗二元の宗教を指させるものなること、(Mazdeism) 即ち摩尼教のみに限らざること、亦た絶なし、然も此の二
ものは、必らずしも一宗教のみに限らざるものも、亦た是を説くと同時に、彼のゾロアスタ教
以て正しく説くべきものなるかに就いては、盧して何れを述べるか能はず、彼のドヴェリア氏が三宗の文
字を以て正しく説くべきものなるかに就いては、盧して何れを述べるか能はず、彼のドヴェリア氏が三宗の文
費せるは (Devéria: Musulmans et Manichéens Chinois, J. A., 1897) と解しながら、然も向は此の論議を
記の記事のみに據りても若し審らかに之を論究すれば、祆教は儒登安の教して、所謂摩尼教(末尼教)と区別
すべき記事のみに據りても若し審らかに之を論究すれば、祆教は儒登安の教して、所謂摩尼教(末尼教)と区別
れども、何となる記(末尼記)を知り得べく、従がって下ベリア氏の如く摩尼教徒が父宗教を信じたりとは考ふるものに非ず
祇、諸闡進祆教、勒建大(三〇武后正元年、初波斯国、有祆登安、行火祆教化中国、唐正観五年、其徒何
の句に於て其教安の教に就て、種種(Musi)の一宗証伝教者朝』の記には、偶に「末尼火祆被者
らかなりとするも、然而は曖昧にして、假令祆安の教に就て、種種(Musi)の一宗証伝教者朝』の記には、偶に「末尼火祆被者
の句に於て其教安の教に就て、種種(Musi)の一宗証伝教者朝』の記には、偶に「末尼火祆被者
らかなりとするも、然而は曖昧にして、假令祆安の教に就て、種種(Musi)の一宗証伝教者朝』の記には、偶に「末尼火祆被者
ず、其間には尚ほ他の資料により之を確定すべき餘地が、必らずしも一宗なりとの絶対的の証明と記すことには足ら
よりて、此缺陷は充分補はれたるものと信ぜんとす、之れ此のマニ教経典中に、自から其宗教を呼んで「宗教とな

三二七

波斯教殘籍に就て。