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0293 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 293 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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あり、此等の設によりて、一時回紇族がネストル教徒なりしかの如く思はれたりし後、彼のドヴェフス、マルクアルト、ベイオ氏等は、其新宗教たるものヽクリスト教に非ずしてマニ教なるを説きしが、其論據とせる所は實に唐書以下の史籍に、マニ教が回紇を入りしを記せること、又た其の教えを碑文に見ゆる三宗にして彼のシュレーゲル氏が現在玄来の三者をいへるものなりとせるものなりしなり。此考はもと曲解せるは正常のものにして、三際は過ぐ以て三宗に見ゆる文字を設き、二祀宗紀と曲解せるは(Die Chinesische auf dem uütlichen Denkmal in Kara-Balgassun, 1896)。茲に明らかに説敏せられたりと瞧、然も碑文に記さる當闊なる名に於ては、其後新たなる史的約提供せられるを知らず、殊に三祀三際の語を、ベイオ氏の設けるが知暗の二者、過、未の三際と説くことは非るも、何れの如暗は祇教に於ても可能にして、其當時未だ之に絕對的にマニ教と見る可きには非ず、又た近三度同氏に於りて發見せられたる景教経典はもとよりマニ教に限りて用ゐ、又た近三度同氏に於りて發見せられたる景教経典はもとよりマニ教に限りて用ゐ、(敦煌石窟選景教典三度議論参照)しと共に、三際の如き語はもとよりマニ教に限りて用ゐ、又た近三度同氏に於りて發見せられたる景教経典はもとよりマニ教に限りて用ゐ、(敦煌石窟選景教典三度議論参照)
回経に祇教の入りなりし誰なければ、二祀を以て祇教と見る可らざるは明かなりといはんも、然らば多くの學者が何の遺るの比定を基礎として碑文の営整播設を稿へしや、之が置左は一胆録の上に存するものあらざるや、若し前食の説を得はず、危險なる比定を基礎として碑文の営整播設を稿へしや、之が置左は一胆録の上に存するものあらざるや、若し前食の説を得敢てせしむれば、二祀三際の交見字を始め、碑文の営整闊の文字に所縁を求めしもの過ぎさるに非ず、然も此の如きは僕に今日に於ては説偽教とも見得ざるを以て、之を偽教とも見得ざるにも非りしなり、然も此の如きは僕に今日に於ては説偽教とも見得ざるを以て、之を偽教とも見得ざるにも非りしなり、

浪斯教殘經に就て