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0347 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 347 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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が爲であらうと考へる。⑤その證驗の一つとして注意すべきは、碑文に貞觀十二年七月、太宗が教を天下に行は
しむべきを宣した詔を載せ、

道其元宗、聖無常體、寄濟群生、大 に載せられて居り、碑文の「大秦國大德」が、會要所載の文には見えないだけ
と見えて居ることである。この詔はかつてノイマン(Neumann)がその僞作なるべきことを強く論じたものであ
るが、⑥然もこの全文は唐の會要卷四十九、泰寺の條「觀其元宗」及び「辭無繁說、理有忘忘」の三句が、會要に見えないだけ
てあり、單に「波斯僧」とあり、また「觀其元宗」ということは疑ふべき似て居ることの署に。

の相違であって、もとより眞實の詔旨にはなく、如何に道德說く所の教旨に似て居ることは疑ふべきしいかは、何人も直ちに認める所であ
景教の教旨なるものが、「大秦國大德阿羅本、遠將經像、來獻上京、(の十六字だけが特無かったならば、これを教旨、玄
て、若し此の一文に、「大秦國大德阿羅本」であるといふも認め得られる所である。特にこの語の中に、「詞其教旨、玄
の教旨を天下に行はんが爲に下した語であるといふも認め得られる所である。特にこの語の中に、「詞其教旨、玄
妙無爲」と見えて居るのは、教旨を開いた方でこれを要約として言ひ表はしたのか、或は說く方でもたとも特にかくいふ
ふたものか判定し難いとしても、何れにも景教の教義の要約として說きもせられ、認められた道德經の首
なく、その教義に關する甚大なる意義を有する語と見なければならぬ。然るに此の語はいふなれる「道德經」の首
章の「玄之又玄、衆妙之門」、「衆妙之門」を始め、頗りに道德經中に說かれる「無爲」
なる語を取り出したものであって、これによっても如何に景教その教義を說くに當って老子に類縁を求めたもの

景教經典志玄安樂賦に就いて