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0349 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 349 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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碑文中その教旨について頻りに玄幡・玄綱・玄理等の文字を用ゐ、またその僧侶の中に玄慈・玄賞・玄鑒等の名を
用ゐたものもあったこと、景教と「ふ名称をしたについての重要なる一段「道常混成、先天地前生、
数」の如きも、道德經第三十二章と「道常名目大」の體に模した如き名を始め、従来匡に知られて居る通り、
名」字之曰道、若しくはその意を採った所の甚だ多いことなど謙解したと思ふ。景教士がその義の宣傳に當
道德經中の語、若しくは態度をかく見定めた上、甚めて志玄安樂經について考を進めなければならぬ。

さて此の經の内容が道德經の所説に近く、最近だ近く、また經題中の志玄といふ語も、道德經に由緣を有するものであら
うと考は前に述べた所であるが、最近碑文や景教士の態度について、こゝに論じた所から由緣を失せぬならば、
かゝる考は嘗承認せらるべきで、従ってまたかゝる題名と内容とを有する漢文の景教経典の存在したことは、少し
も奇偉とするに反ばず、太宗が景教に対して、「詳其教旨、玄妙無爲」と詔したのが、如何にも当時の景教士等が首肯
せられる次第である。併しながらかゝる見解の下に此の志玄安樂經に対するならば、此の経典は常に道理のあると首肯
特に道德經の所説に近からしめて、ネストル派の基督教義を説いたもの、即その教義の宣傳の爲に、彼等が唐に於
て運造したものと見なければならぬのであって、前記經題目の来の跋に、これを以て景僧が傳した三十部中の一に
数へて居ることを認証するか、或は加上の見解を持して、譯得云々の跋交を信頼するに足らぬものと見るかにつ
典の存在したことを見顕著することとなる。此の場合に於て譯者とある、此の志玄安樂經その僧の跋
景教經典志玄安樂經に就いて

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