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0362 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 362 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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る。最初の3行は彼祖のため詳には解し難いけれども、2行目の「法王」の上には前述のように「大聖」二字があったこと、思はれるから、2-3は「大聖法王は善く諸衆の器に関連せしめて説いたものと思はれる。故に善く萬物を繙化し諸生を救ひ、魔鬼を降伏せしめる」との教義を、道徳経に履出する諸美の部分と思はれるけれども、今明らかに解し難いのは遺憾である。24-27に亙る一節は、最典としての此の残巻の重要部分と思はれるけれども、ここにこの残簡に引用してある道徳経の本文と関して注意すべきことは、「経には善人之資を「不」となつてあることである。「所保」については古来諸種の注釈が施され、たとへば宋代の蘇注の如き「不信善之徒所」不」保」と述べてあるが、「所保」についてはここに8行に「不信善之徒所」不」保」となつてあるのが、これには8行に「不信善之徒所」不」保」となつてあることは、「所保」も「所不保」も同義とは記難い。然則「道則不能」安」保」とあって、故唐写本道徳経として「不」所不能」安」保」と述べてあるが、「所保」でも通じるやうに有。「然而曰」道則不能」安」保」とあって、故唐写本道徳経に書して「不」字の存在することはここの残簡と同じである。
この異賓、不善人之所不賓」と同じく教弼氏の旧蔵であった唐写本道徳経第六十二章の「道」について研究者にも多少とも興味を覚えるが、「不」一字の存在することはここの残簡と同じである。
人之賓、不善人之所不賓」とあって、「僕が賓になっているが、「不」一字の存在することはここの残簡と同じである。
思はれる。それでこれを同じく教弼出土で発掘氏の旧蔵であった唐写本道徳経に書して「不」字の存在することはここの残簡と同じである。
要するにこの景教の教問の内容は、道徳経第六十二章の「道」について解すべきか、道徳経も景教も、これについて説いてある問題と思はれるのをそのまま取り入れ、それに合致せしめて景教の教問を織込み、道徳経と道徳経も景教も、これについて全く同様の著くを認めることを示したものに外ならぬのである。唐代の漢文景教並に関係文献に於て、景教と道徳経との連繋の著くを認めることは、余が先きに述べたようにこの宣元至本経をも題して同経を解説した時に、仔細に述べたことであるが、然も上に述べたやうに少景教典籍玄安樂経について同経を解説した時に、仔細に述べたことであるが、然も上に述べたやうに少この宣元至本経に於て、道徳経の一章をその儘に取り入れて、これを典典として詳述したのを知つては、誰しも少

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