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0400 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 400 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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であった内梅録将軍(Ge̊burg süngun)hačan、といふ人が摩尼教とは大して関係も無かったと思はれる Küs-
ana の人であったと(Ge̊burg süngun)、疑惑なしには認められないことを思ふ。然らば、これを Küsgna 以外に於て、一
層適切の地に該当せしめることが出来るであらうか。余はこれを前の叙述と近接の地で、
元代には古来用ゐられた亀慈といふ名と並んで、曲先、苦先等の字面で記された今の肅車即ち、Tarklıkı-Kashdi
元代には指したのに外ならぬと考へる。元史や駐征録などに屡見する曲先、苦先等の名が、Tarklıkı-Kashdi
や Zafar Nāma にそのまゝ Küsān(Küsāin)と記されたことがあり、また Rashideddin の亀慈即も曲先は同僚が高昌も正し
くは其の勢力の下に帰することになった地であるから、此の Küsāna を曲先に該当させることは、低に証拠を纏
無く其の勢力の下に帰することになった地であるから、この Küsāna を曲先に該当させることは、Gandhara の
Küsāna を以てするよりも遥かに適当であることはいふまでもない。そしてかく該当させれば、此の文書に生地を記さ
れて居る人々は彼時同僚の勢力下に伏った地方の出身であり、同僚の官職を有する摩尼教徒として、極めて適当であ
ると思はれる
 只だここに顧慮しなければならぬことは、Müller 氏の解説したのは佛教文書であり、この文書が摩尼教に關する
ものであるから、後者の Küsān が曲先であるとしても、前者は Gandhara の Küsāna に当ると見て、差支ないと
主張されるかも知れないことである。併しながら先きに述べたやうに、前者即も佛教関係の新願文に現はれる終者即も
摩尼教関係の新願文にも共通して、後者即ち sähni、suini、といふ言葉が具へて居ることは、前者即ち Gandhara も
kūsān という名をも同一場處を指したものと解せしめる健全と興へるものであると同時に、別に余の蔵している呪婆