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0402 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 402 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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いふのと同じ程度の義だとし「ふ=に譯した」とあり、第三には「また四 küsän の學者の國に云」とあり、第三に
は küsän の語から「Toyïn 即ちトクハラ」の語に譯し、「一個のアーリヤ語語から、そうして所謂トクハラ語とは方言
トルコ語の行はれる語に云った以前のトルコ語といふのは、殊にトクハラ語に対して云ふべき名稱は古、「Tïlïk の語に譯た」とある。
の類似こそあれ、可なり其だしく遠って居り、龜茲地方の語とそれに対してこれを称する今日では出土する佛
典に用ゐられ、龜茲地方に記されて居ることを、これ等の文書に記されて居ることを今日では küsän 佛教的
を曲先師ら龜茲と解釋しても、これ等の名稱でも説明し得ると信ずる。
以上述べる所に依ると gülm も gülmï も、龜茲古時代から史乗の上に名を現はすことに
なったと認められる所に居る土地である。従って此等摩尼教に關係した文書典は皆また蒙古時代になってか
らぬの如く書かれたものと見られなければならぬのである。併しそれに対する廉恥を見たるに外ならな
い。何となれば蒙古時代以前のこの地の漢名は、所謂漢人のそれたかについては、特別の記事と廉恥を限り確證を
らぬのであって、その地の人もしくは玄奘古族などが何と呼んだかについては、特別の記事と廉恥を限り確證を
へるものではない。假令その多くが土名やトルコ名などと何と呼んだかについては、特別の記事と廉恥を限り確證を
同様であったと断ずることは出来ない。例へば玄奘非の西遊記の時に、唐では舊来の名稱を承けて子闐と呼んだ
地に對し、その境(漢、遼、邪即ち Hïvänïn Hïvänïn と稱して居たと知きはその一例であるが、蒙古時代
の記録や元史などに、初めて此の地方を呼ぶ蒙古名や、蒙古語の基く所と思はれるトルコ名の見えるのは、蒙古族
自からの記録からこの時代から残されたり、また彼等の政治力の発展し、安那に君臨したのに伴って起った現象