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0404 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 404 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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の名を傳へられて居ったのではないかと思はれるものがある。先づ Kämil について考へて見ると、西域圖志邈謳域二、哈密の條に、此の地が古の伊吾に當るのに、然れど両者の名の相類しないのに就いて説を爲し、哈密といふの
は史記大宛傳や、前漢書西域傳に見える扜架の地名に當るのに、此の扜架は于闐に近い處に接する地で、両者の位置は相合しないが、これは扜架國の人が昔に哈密の地に居り、こゝから西して于闐に虜に遷ったが、あらたと論じてある。この設定なるべくは哈密の名は匪に西紀前時代から知られて居ることになるが、然しこれは同書が引いた御覽
哈薩克使臣令隨圓副詞跋に設を紹遣したに過ぎず、そして此の詳説に謂ふ所が單なる一片の臆臆、何等の根據を有するものでないことは勿ち哈密の條に其の管下の鄰鑿縣を配し、伊州との距離を東北百三十里として、つ元和郡縣志卷四 隴右道四百石道伊州即と記してある。この供密の唐代音譯の例を求めると、Khoedjend、Khu-djend の如く、Klio, khu また kulim nor、(供輪泊) の la、Klosa、(供色) の如く、Kämil、Komil、Ku-tio 等の音を寫すに用ゐられて居るから、供密は、Kämil、Komil、Kumil の別稱に当る音を寫したものと見ることが出来る。もしくはこれに近き Komil、Kumil、等、即ち前記の如く Kämil の別稱を寫すに用ゐられた音であるから、唐では此の地を従来からの稱呼に因んで居たことを考へると、唐では此の地を従来からの稱呼に因んで居たことを考へると、唐では此の地を従来からの稱呼に因んで居たことを考へると、族などは庭に Kämil、Kamil の如き名に、伊州といふたが、其の地方のトルコから知られて居ったことを考へると、唐では此の地を従来からの稱呼に因んで居たことを考へると、

辛卯侍行記に見ると
稽古卷六を見ると

辛卯侍行記に見ると、Kämil、Kamil の如き名を呼んで居ったのでなからうかと考へても、強ち無理ではあるまい。
而不知哈密之名亦古、元和志、伊州納職北有供密山、是哈密因山得名、唐初已然、今三