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0411 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 411 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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ることであるからこれはとらぬ)以後西方諸國の佛僧が續々として安那に來り、佛典翻譯の事業も盛大となつて、今此等外國から支那に來て譯經することに従事した人々の國籍をすべて見ると、現在以後藏經中に收められ居る、(即ち親覧纏)、安息、康居、副資、葱嶺以東では于闐龜茲等の諸國の人も、此等の外に只だ西域の人として傳へられて居る
ものが澤山ある、思ふに之は重に葱嶺の東、今の安那等の諸國省地方の人を稱したもので、于闐龜茲などの人も、一方で
は西域の人と云はれる例が少くない、安那の初期新譯経省時代ともいふべき翻訳したものの少くないので有名な
経典翻譯の事に従事した、其子藏貢員、しかし安那などという佛念、何人が協力し、もしくは獨立して居ることは能く知れて居ることである、以上
る嚴佛調以下、蕭承遠、此等の本國天竺を除いては、何れも犇犇語の範圍外のものばかりである、疑問は則ち此點に向つて狹
の國々の中で佛教の本國の諸國の人が安那に來て佛典を漢譯するに當つては、犇犇語以外の西方諸國中、佛教に最も關係
まれねばならぬ、此等の諸國の人が安那に來て佛典を漢譯するに當つては、印度以外の西方諸國中、佛教に最も關係
の深い國は勿論月氏である、後漢管に見ゆる大月氏王閻貴珍(即ち Kudissan 王朝の貨幣にも見えて居る Wema)
Hema, Hima, Ommno, といふものに相當する、佛教が印度を北方に出て先づはいつたのは此月氏に據
つて居たけれども、もとより印度とは其文化に於て相違がある、
の國である、いつの頃から佛教が月氏に入つたかはもとより疑問であるけれども、紀元前十年の頃に Alexandros Polyhistor が書いて居るものゝ中に『當時、クトリアに Yijuutor ありといふことが見えて居る、Lassen

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