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0412 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 412 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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は Nāgasena 即ち沙門の居るといふことからして此頃既にガンダーラ地方からヒンドクシュ山脈を越えてバクトリ
アに佛教が及んで居たものと論じて居る(Lassen: Indische Alterthumskunde II. S. 1093)。紀元前三十年の頃に
は最早希臘のバクトリア王國はとんでしまつて月氏の館になつて居ることは明らかであるからして、常時バクトリ
アに佛教があらば、もとより月氏に佛教が傳はつて居たものとせねばならぬ、其後月氏が今のペシャワール地方に據
つて愈々佛教が盛になり、終に月氏王の時代となつて、其全盛期に達し、布教使の知友も四方に出た樣
である。康居、安息等月氏附近の諸國に佛教が傳はつたことは疑ないことであろう、そうして此等の諸國に
かく此王の時に盛に布教せられたことは疑ないことであろう、斯くいふ所以は、勢ひ王の時代は何時であるかといふ問題に入らねばならぬけれども、
之はいつて来たのである。然るに今は只だ紀元一世紀乃至第三クォーターの前後に在位した王であるといふことに止めたい、ともかくも
文が現に既に置かれなわけれあるから、最近にも印度の近位する王に関係したこ
とに止めて置きたい、ともかくも印度に近佛諸國に傳はつた跡をつぐ様的になつた、俠義として月氏以下の
十八年後漢の桓帝の時からして支那に月氏王國に入り、絶えて近佛諸國に傳はつた跡をつぐ様的になつた、それで月氏以下の
諸國はもとより支那より以前に既に支那に佛教を奉じたのであるが、暫らく之が行はるゝに常りては、其経文は梵語の僧
行はれたものであったろうか、かゝる問題は是迄此處方の一般の歴史が殆んど打ちやられて居ることから、あま
り研究されなかつたらしく、佛教史風のものにもとんと共洵具をすべて居ない、漢譯の佛典と見るゝ、流石にその博
づ此事を考かて置く必要がある、寶塚宋の高僧傳の高僧傳の僧侶の後に論を附して居るものを見るゝ、流石にその博

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