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0421 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 421 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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所によると、西藏が甘地方を古僧し西紀八世紀の牛頃から九世紀の牛頃にかけて、この甘州の多(Cintra)寺で、西藏語や梵語の佛典を、漢文に譯したものが澤山あって、其の多く法成(四藏語の Chos Grub に當るから、甘珠爾の中にあるの金光山を觀音に關する三種の經などを譯して居る。法成は四藏語の と同人だらうといふ。此の滅壺記の譯られた時の漢文書の目録に、九世紀の初牛と見て居る。法成譯の瑜伽師論、瑜伽師論、薩婆多宗五事論、同別本、及び此の滅壺記本、ペリオ氏蒐敦煌出土漢文論の目録に、政治の上からも文化の上からも、諸國多宗 Bibliothèque Nationale のペリオ氏蒐敦煌出土漢文論の目録に、當時甘州の如き、漢文にも梵文にも通じて、各々一方から他方を感受するに鋭敏であった場所に居った西藏人が、議文は甘州の如き、甚だ興味ある事件である。然し漢文の藏籍の間中には其の譯の傳譯に從鋭事して、その業績を今日に傳ふる者があったのは、偉統的學藏師に對する一種の收められなかったのが、偶然の事情で、かの世の中に出て、千載の後人を驚かすのは、この譯師の手に成った他の遺文をもすべて現存のものと比較して、發明の費するに供することを積りである。脅威であり、また諷刺でもあるやうに思はれる。自分は獨り此の滅壺記のみならず、

此の寫本は卷軸の形で、即ちの紙の第十頁の五行目=氏の、首尾の題記に依る原本四七頁六七九行、そして寺本館の譯出された千闕國縣記第一 営の末、即ちの紙の第十頁の五行目=氏の詳記による原本四七頁六七九行、そして寺本館の初の部=で終った居る。原典乃至ロックヒル氏の抄譯、寺本氏の全譯などと比較して研究の資に供すれば、發明する處甚だ多いと思ふ。寫眞は自分が巴里で寫したもの、原板は今東京モリソン文庫の所藏に係る。

(岩林第八卷第一號、大正十一年十二月二日稿)

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