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0424 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 424 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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が國と其の名を傳へられて居ないやうである。⑻についてはは目録の編者ペリオ氏が poème par Fatch'eng と記して居る。「法成譯」の文字の記された經に對しては、此の一に traduit par Fatch'eng として目録を取つて居るのに思ひ比べると、或は此の「法成譯」卷は法成自身の作で、此の人の譯ではないことを示して居るのかと思ふ。⑼には重要な序や奥書の存することが目録に見えて居る。即ち

En tête, suscription indiquant que c'est l'œuvre de Fatch'eng; à la fin, ce colophon:

※崇元八年以後法成譯記
と記され、一面して編者ペリオ氏は其の末に考を附して

D'après le colophon il semble donc que Fatch'eng ait travaillé non seulement à Kan-tcheou mais aussi à Cha-tcheou

といふ如き意味では無く、法成自身に關する語でありうから、ペリオ氏の推斷も無理ではあるまい。果して然らば此の奥書の示す意味は、常に法成が沙州に於て譯經の業に從事したことを知り得るに止まらず、別に彼の在世時代についても一箇の手掛りを提供するものといはねばなるまい。史林の解説にも述べた如く、ペリオ氏は法成が波代についても一箇の手掛りを提供するものといはねばなるまい。史林の解説にも述べた如く、ペリオ氏は法成が波代についても一箇の手掛りを提供するものといはねばなるまい。史林の解説にも述べた如く、ペリオ氏は法成が波
書記を譯したのを第九世紀の初年と具、石濱君は法成の弟子の智慧山の在世時代から推して、その第九世紀頃の在