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0438 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 438 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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の危險を脱せんとするものは、勢ひ他に走らざるを得ざりしが如く、詫の蕃落分崩の餘は此の有樣を説きしが如
し、此の時公主氏に嫁せしことを先きに「雄渠作配」といへるに明らかにして、其の夫は前記阿史德覓覓なり、而し
て其の系統上の關係は彼等をして先きに「本國に安んずるを許さりたらむ、されと唐書等には此の際に歸順せ
し人のことは記さずして、却りて此の前二年即ち開元三年、默啜同位にありて其の子移溫可汗の誤
なり)をして北庭を討たしひるや、軍利あらずして返くに當り、默啜の妹壻(噶府元龜に突厥の增と記す
共に唐に來奔して燕志郎王に封ぜられ、妻は金山公主となられ、其の一族の唐に來するものも多く、合して萬餘
緣を助けし爲亦た志郎を得ずして、勢ひ官僚するに當りて、之を
河南に入れしが、其の重なるものは皆官僚を給へ、一而して、通典百九十八卷に女塔阿史德胡緣なるものの多く、
た此の年即ち開元三年にして、特進を授けられしことを記せしこと、然も此の年に入朔せし一事は大に此の位定をして
阿史德覓覓の阿史德胡緣と見え、舊唐書にも亦た此の蕃落分崩の事實を採錄せり、金は先づ四年
踵せしことの前の如く、かりに三年萬餘嶮奴なるものは來歸せしことを以て蕃落分崩の事實と見るも、尚は默啜大
に屬することの前遣りと、開元三年常に見られるべきを記せしこと、然も此の蕃落分崩の事實如何に踏
り、即ち此の時に來帰し、叶谷渾大賀蕊容嶮奴なるものは、册府元龜によれば「開元三年六月……道奴左威衞大將
軍員外置察刺史封雲中開國公、食邑二千戸、賜宅一區、物四百段、馬兩匹」と見ゆ(登封二十四)「此の事は雲中郡開
唐書にも見えたり、傳上)、もし舊唐書の阿史德胡緣を以て此の阿史德覓覓とせば、默啜女塔特進阿史德胡緣たるものは、
公なるもの、兩人存在したる事實を認めざる可からざるに至るべし、されば默啜女塔特進阿史德胡緣たるものは、