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0439 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 439 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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ヒルト氏の考へたるが如く此の公主の夫たりしが知く思はるゝにも係はらず、倘は此等の矛盾の解釋せられざる限
りは、充分之を認む可らざるべし。
 兎も角此の墓誌によれば覺覺の歸順封冊は開元四年の蕃落分崩の當時と見るべきを以て、從がつて先きに見えた
る公主が雲中郡夫人に任ぜられたる時も、亦た此開元四年のことなるべし。

○家雞犯法、身入宮闈
 家雞は厨馬阿德覺覺を云へるものにして、此れが歸順犯法を犯したるものなるべし、而して犯覺を稱して故特
進といふより見れば、宮闈の被逮に先き立ちて死役せることは明らかにして、或は其の死は此の犯によるものなら
む、此に於てか公主は玄宗の被逮に入りて、妃嬪の列に加へらるゝに至りしが如し。

○佳天恩戲彼、禮秦晉於家兄、家兄朗三十姓天上得毗伽照可汗也
 誌には官闈と見ゆれど、宮闈の誤りなるべし。

 陸氏は「佳」は「住」の誤りなりと論ぜり、されど對句の上より考がふれば、寧ろ此の一字は衍字にして、此處
に插入せらるべき餘地あるなし、天恩を被りて秦晉の禮を記せるものなるが、思ふに秦晉とは、秦繆晉
公主の後宮奉仕中、天恩を被りて秦晉の禮を家兄に誤るに至りしを説けるものなるや、覺公此れが爲に宗女五
女の關係を指せるものにして、左僕僕公三十三年の條に、晉の重耳の報かれて秦に入るや、宗女五

唐故三十姓可汗貴女阿那郡氏之墓誌

三七七