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0443 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 443 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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る所なり、然も公主を偽するの「事は唐より之を許さず、突厥にて深く以て遺憾としが知く、開元十三年
唐使が突厥に至るや語るに此の罪を以てし、諸外番皆信じ、突厥にて斯く遺憾としたりしが知く、開元十三年
令天子の女に非ずと倒く所に非ずし、「今之所に止まらさりしことは「前後請和親以来腹々和親不蒙許也」と言へり、而して此の請
求は此の年頃迄に決せし、「再に此の請に応じたること以て、また「頻請
不得」といふに此の裏面に於ける潜める事情を遺憾なく窺へる可らず、以
の更嫁の事件を考ふる時は、史の裏面に功始なる政策と云はざる可らす、而してか
て時局の急を救はんとしたる時は、阿史那慢道の女なる以て交河公主と脅し、
低に此の前問の女なる以て交河公主と脅し、これを突騎施の可汗蕃に降嫁せしめたこと
も見ゆ「開元五年にも、かゝる點より考ふれば、公主の此の更嫁は、実は唐と突厥の悲しき泣きしものなるべし、此の
のにして、公主よりして之を見れば可汗は公主の仇敵にして、寧ろ此の天恩を忘れたるもの、如く、十三年唐使が突
夏嫁の意味は既に陛下の諭氏も之を見れば可汗は公主の仇敵にして、寧ろ此の天恩を忘れたるもの、如く、十三年唐使が突
知より帰り、其の諭を天子に奏せしことを記し、而して曰く「或朝庭因此詐、以公主于故嫁、如交河公主故事、未可
厭也」と、されど此の諭の結果には公主于故嫁、如交河公主故事、未可
龍首原は長安懸居鄉にあり、宋代には居坊後なれば、長安城西第三街の十三坊中の一に數へらる(長安志・巻第十)、当
時嚴厭原の来りて長安懸居鄉にありしもの、多くは居坊故に棄られたるが如く、開元七年に没せし沙陁公夫人金城縣君阿史
那氏(「の安金河司史の墓誌銘にも「靈射於長安縣居鄉龍首原先公特君之塋」と記せり。

唐故二千姓可汗貴女阿那氏之藏誌

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