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0450 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 450 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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りて督信を得しことは、碑に記さる、時代の上よりすれば、両者必ずしも一致せるに非ず、更にまた銘
に『宣傳聖教、賞稱善心、諸國疏清、于今無亦、此の點よりしても亦此れを阿羅憾が一宗の宣布
し、凡そ唐代波斯國人の宣傳を得べき宗教には訴教(manicism)摩尼教(manichéism)及び景教
の三著あり、前して阿羅憾の傳へたりと稱せらるものが、此等の中の何れなるかは、彼かに推測し
難、銘に唐の鴻臚卿拂林國の使者として、其の國に使せられしと記せらるとして考ふれば、亦必らずしも妥當と
得ざるに非ず、蓋し拂林諸番招慰大使として、其の國に使せられしと記せらるとして考ふれば、亦
のネストル教なりしことは、今更に改めて説くを要せざるも、其の波斯人を擧びて、ネストル教國に使
せしめし理由の存せざるの限りは、誰か此れ以て景教の宣教傳傳者の一人なりしと記むるも、決して不當
特種の宗教の存せざるの限りは、誰も此の如きは陋齊識石記が、景教の鼻祖組羅亜末の
以上述ぶる所によりて考ふれば、此の両者を以て同一人と見、彼がつて此の丘銘を以て、景教の鼻祖組羅亜末の
墓誌と見得るが如し。然も此の如きは陋齊識石記が、此れを以て景路斯父子の何れかに相當せしめんとしたる
と難と見出づるものならずんばあらず。然し此の點に關しては非難する所なきが如きも、銘に見ゆる他
の記事は、一規に出づるものならずんばあらず。即ち上數云の點に關しては非難する所なきが如きも、銘に見ゆる他
同一の記事と合一せしめ能はざるものあるを以て、彼路斯父子の何れかに相當せしめんとしたる
もの外は、僅かに唐會要(卷九一)に貞觀十二年七月の詔を載せて『波斯僧阿羅本、由來阿羅本に如きも、銘に見ゆる他
に關しては、由來阿羅本に如きも、逮路經教。來獻上京、詳其教旨、景教碑に見ゆる其の宣官、