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0490 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 490 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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けたものではなからうか、遼が滅じてから陶氏の時代に至るまで三百年許りを経てゐる。僅に燕北録中から五字
の契丹字を拾ひ上げ得るのに止つた稿に、当時契丹字の資料が少かつたとすれば、別に存した楷體の契丹字が阿氏の
眼に触れず、遂に此等の五字の體から推して、加上の説明を遼史の記事の上に附加することに成つたものかも知れ
ないと考へるのも、必ずしも不稽の言ではあるまい。兎も角契丹に かく縦拼両體の文字があつたことは疑無
しとすれば、何等か之に對應する記事を遼代の書史について求めて見なければならぬ。

 契丹には大小二字の存したことは周知の事實であつて、大組の作つたのが大字であるが、小字の製作は太祖の皇
子法刺に賜せられてゐる。遼史卷六十四皇子表迭刺の項に、「性敏給、卒然其言語及、大祖曰、迭刺之智、吾所不及、
縦以迭事、不如我、回鶻使至、無能通其語者、大字製作後の大祖の時代に製せられた年、相従二旬、即も天資三年及び四年
丹小字數少而後貫」と見える。白鳥博士は、さて小字の大祖の製作時代に居ることから考へると、此の如く迭刺が回鶻の言語や書を模倣し之
の何れかに、此の事件を繋ぐべきだと見られる⑧。其の字數は少ない、然して該真すと記されてゐて、此の如く迭刺が回鶻の言語や書を模倣し之
によつて工夫せられたもので、其の字數は少ない、然して此の事件は無理ではない、実に Biselli 氏は早くく此の記事へ

に 音字で工夫せられたものと考へるのは無理ではない、実に Biselli 氏は早くく此の記事を援として、「契丹字 Biselli いふ字をあたらうと考へるのは無理ではない、実に Biselli 氏は早くく此の記事を援として、「契丹字 Biselli いふ字
ことは出来ない、数の小さいことは盆々西方の字に倣つたものなることを示す。而して此の文字の製せられた事情か
ら考へれば、迭刺が契丹文字を定めるに当つて、回鶻文字に擬したものであることを示す。而して此の文字の製せられた事情か

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