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0500 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 500 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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三巻の回回暦法なども亦あって、ここに曰ふ數篇の中に數へられたものであらう。
第三は馬沙亦黒の傳記であって(三十枚右)、從って茲に傳へんとする最も肝要なものである。
明呉誤、原名馬沙亦黒、撒馬兒罕來人也、時舉止吐屬外陳識・戸部主政李遜、使西域至其國、凡五
往返、均相得、諮達同使來求入覲、人時舉止吐屬不類遠人、命制渾天儀、以正前代譯失、授爲
劉瀚博士、所著有法象數類、永樂五年隨駕還燕京、帝褒獎者再、外特授欽天監五官靈臺博士科、世襲其俸來者、並命劉基・無機線、終明宗譯之世、上每以長
著目次、成祖太史院、謀祖盛怒時、親敕天監五官靈臺博士科、其子恭、世襲秋官正職、後裔機承家學、
天文生、馬沙亦黒は馬哈麻と譯出した人である。前に引いた洪武の詔勅には馬沙亦黒馬哈麻と記されて
居る。此の傳によると回教祖、馬沙亦黒、いふたものと譯出して居る例から考へると、(曆法二回)、これも同名の音譯であって、
恐らく Mashaikh Mohammad といふたものであらう。
して、然も此の人名を稱修馬覺赤黒兒軍として居るのは、(鎮成吉思二實)、いふ迄もなく今言には(曆法二回)、これも同名の音譯であって、(鄭廠沢の矢句(出)を矧んと其の圖と行
此の傳に從ふと、馬沙亦黒は撒馬兒罕の人で、洪武十二年陳誠・李潘等が西域に使して其の國に行
つた時に、同道して東來し、洪武の朝に仕へるに至ったといふのであるが、これは甚だ承認し難いことである。洪
武帝は早く西域を通ぜんとして、諸國を招諭したことはあったけれども成功せず、撒馬兒罕及びその
めて通ずるに至ったのは、洪武二十年のことである(珉城癒告局答傳)、また陳誠・李潘等が西方撒馬兒罕の初