National Institute of Informatics - Digital Silk Road Project
Digital Archive of Toyo Bunko Rare Books

> > > >
Color New!IIIF Color HighRes Gray HighRes PDF   Japanese English
0501 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 501 (Color Image)

New!Citation Information

doi: 10.20676/00000267
Citation Format: Chicago | APA | Harvard | IEEE

OCR Text

附近の諸國に使したことは有名な事實で、陳誠はその際の開見を記した使西域記なる書物まで書き殘したのであつたが、その使を奉じたのは永樂十二年が初めであったと思はれる、尤も此の十二といふのは自分の推察であるが、明災哈烈傳によると、十一年李達・吏部員外郎陳誠・戸部主事李暹等遣使、指揮金藍等沿之、就賚爾尼・文貢・紗羅・布帛諸物、分賜其酋、十三年遣使・東都員外郎陳誠等還)と見え、撒馬兒罕傳によると、「十三年遣使、陳誠等入貢・と見えて歸るに及んで、其の出發したのは多分此の十一年と十三年との間なる十二年であろうと思ふのである、明災撒馬兒罕傳に哈烈傳に依って此の後に於て屢西方に差を奉じた所見を大に居るから、陳誠は此の以前に何等此の人の西使の事實は見えて居ないから、これが彼に洪武十二年に西使を果したとものや哈烈傳に従って此の以前に何等此の人の西使の事實は見えて居ないから、これが彼に洪武十二年に西使を果したとものであるが、この以前には何等此の人の西使の事實は見えて居ないから、これが彼に洪武十二年に西使を果したとものじ難い、尤も繹義には洪武十三年に来朝・李暹等が「使西域至其國、凡五往返、均相遇、謀逢同使臣東来(顯)」と書いてあるから、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではなく、陳誠等が五往返の間何れかの時に来朝した大に来朝したと見るべきで、その年次は此の文では判らないといふのではな