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0503 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 503 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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人がある かも知れないが、自分は、これも亦信じ難い節があると思ふのである。何故かといへば、実録に見える如く
馬沙亦黒は火原潔と共に華夷譯語の編纂に従事したのであるが、自分はこれも亦信じ難いと思ふのである。〔前出、彼の関係したのは其
の中でも蒙古語譯であったと思はれ、しかし撒馬兒罕からかに当時に至る迄備へと
が、特に取り立てられて此の事業に当ることを許すならば、馬沙亦黒は撒馬兒生れの回回教古語に通じて居たとは受けとり難い、若し此の場合を想像を回らすを許
にふるに至ったものだと解釈したいふ劉基・
協同して天安誓を譯したといふ劉基・改院〔太史〕鳥伯尓の天幕は、皆元の官人であったのであるが、なぜ明史〔巻三〕
沿革に拠ると、「洪武元年、改院〔太史〕鳥伯尓の天幕は、皆元の官人であったのであるが、なぜ明史〔巻三〕
等十四人、諭令司天監法」と見えて居る、また皇朝儀礼制・回回天監回
司天少監語〔の〕一篇が載せてあることは明かであるが、司天監は洪武三年に飲天監と改められたものであるに、元朝に仕へて居たもの
誥命は洪武二年以前のものなることは明かであろうと思ふ、従って此の阿剌刹も前記の人々と同様に、元朝に仕へて居たもの
のが、明初その明初の朝廷に入覲するに至ったものであることは明かであろうと思ふ、従って此の阿剌刹も前記の人々と同様に、元朝に仕へて居たもの
末に撒馬兒罕から来た回教徒で、多分元朝に仕官し、〔蒙古語にも通ずる〕と見えて居るからには、彼の初めに仕官したのがどうかは固よ
士を手初めに仕官したものではないからうかと思ふ、〔官員俗中来〕と見えて居るからには、彼の初めに仕官したのがどうかは固よ
へるに至った人があったことは明かであるが、これが前述十四人、もしくは十一人の徒であったなどうかは固よ
り到らない、かくて恰も班勒紘(Balāb)の人察罕が、聖武開天監を毗必赤頗から譯出したやうに、撒馬兒罕生れ

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