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0518 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 518 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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て満語研究が長崎唐通事に命ぜられた文化五年から、三度目に同じ事業に従事した嘉永三年の前々年迄に亙る頃は
この人の研究活動時代であったことは疑いない。此頃の長崎唐通事には、四末亡命の客の系に出るものが多いのであるか
ら、満語研究の知ることを好まないのは、獨り綺石先生ばかりではなかったらしく、これがこの事業の進捗を見なか
った重なる理由の一つであったであろう。今萋碑の交中にこれに關する部分を摘録して置く。

明治九年丙子歳十二月九日、地理寮御用掛蔡君以剿充千官。偕率東京四谷理性寺、享年三十八。有一男、
名遁一。府幼、旣長、從祖母股氏、歸執賓於家、開拓・工部・内務、明年丁丑秋八月、藏衣不欲仕。君亦不欲仕也。吾謙慎忱、嚴敬跋介、
表之。君爲人明直、不苟合。九世之祖蔡仕大學、覺永中難不倍、顧先之所以遠墳墓前來寓者、始稱評司。吾謙慎忱也。
吾爲不顧利害、幕府嘗令譯倣滿洲語。先生獨蘇不倍、安記曰稱倣滿洲語。先生與君之墓、と題し、向つて左の面から真、右の顔に、に引く文が鑑
子孫者、寶身伏于廻、裘「蔡綺吾先生之墓」と題し、英佛の語を究め、英國留學の志を慢て果さなかっ

碑は三重の塞石の上に立ち、所別以下は慎苦の陵恭像から其の譜を専攻しようとしたもので、父親の意と背馳するもの
たこと、満清は明の深仇であることから其の兵學地理を専攻しようとしたもので、父親の意と背馳するものであり、満清はその兵學地理を専攻しようとしたもので、父親の意と背馳するものであり、
の國であり、父親と二であることなどが記されている。欧が綺石先生の如くでないまでも、大廐の唐通事が満語を學ぶこ
の心はなかったことなどはこれによっても推知される。とを好まなかった有様はこれによっても推知される。