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0536 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 536 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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四七四

二

古代の北方民族の文化を探究するのは、所謂支那の記録を主要なる據とするの外に途はないが、今まで自分の探した所では、彼等の間に於る底に關する記事の見えて居るのは、案外少く、また見を初めた時代も比較的後世のやうである。併しながらこれは支部人が記事と卑しむ見えて民族のことを、極めて粗略に書き付けて置いた記録を基にして、のことであるから、其の中に支部の記録に見えないからといふて、直ちにその見えない時代には彼等の巫は無かったものではないといふやうな、其の解は勿論ねばならぬ。かゝる信仰は文化の程度が高まるに連れて生じて来るものであるといふ、ある民族の間にある時代にこれが有つたといふ訳りではないと思ふ。
さて北方民族中には古くまた最も古く最有名な積族として、支那の記録に照して論述して居るのは何奴=以前は何奴はトルコ種であるとい今は便宜その説に従がって蒙古種と見ることにする。が、近頃白鳥博士はこれが蒙古種であることを論述して居られる。⑱
あると、巫の記事を求めて見ると、前後両漢時代の記録に於てはまだ之を記めないが、晋書の劉元海の傳によると、匈奴の左部の飼なる魏嘉中〔三四九〕新王於龍門、俄而有一大魚頂有三角、軒轅躑躅前至祭所、久乃去、亚頭挂異之曰、此嘉祥也