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0546 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 546 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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同様であって、好く物事を知って居る人、神事を知って居る人といふ原義を有った固有のツングース語であると思
ふ。但し「Underwood」氏によると、「Shaman といふのは an idolater といふ意味のペルシャ語であるが、その
意味が特別に限定せられて、種々の物象符呪その他種々の方法によって鬼神に勢を及ぼしたり、病難を治したり、危難
を防いだりすることを称する人を呼ぶことになったものである」といふで居るが、これには恐らく何等か基づく所があ
るであらう。しかし其の出所の何たるに係はらず、自分はかゝる説には賛成しかねる。もとより波斯語で shamen,
shimin、idol、idolatry の義のペルシャ語とトルコ語とは明らかであり、そうしてその意味から更に呼ぶ説には賛成しかねる。
といふ説を認めるにしても、このペルシャ語がトルコ語や蒙古語の中に入りこまないで、知ってツングース語に
のみ這入ったといふ説を受けとりにくい議論がトルコ語や蒙古語の中に入りこまないで、知ってツングース語になった
くを知らないから、その点かゝるエチモロジーに就いては一切ここに述べぬことにする

次にトルコ語の「kam」のエチモロジーに就いて上に述べた如く、「知る」なる語からも起り得ると思はれるが、また既が
ことは出来ない。一體坐といふ義を根本にして呪なる語からも起り得ると思はれるが、また既が段代よりその徴証が存し、また既が
舞ふとかいふ義から起つて居る、支部の坐の頭を向き、手足を劇して狂暴の状態を示すことは、前述に見られた。Rubruckの
神を降す時には必ずず太鼓の頭を向き、手足を劇して狂暴の状態を示すことは、前述に見られた。Rubruckの
の記事にも見え、今も薩満教に於て一般に認める現象であって、支部に跳神といふのも、跳るといふ義を根本にして呪なる
語の生ずるのは自然のことであって、支部に跳神といふのも、跳るといふ義を根本にして呪なる語に違

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