National Institute of Informatics - Digital Silk Road Project
Digital Archive of Toyo Bunko Rare Books

> > > >
Color New!IIIF Color HighRes Gray HighRes PDF   Japanese English
0553 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 553 (Color Image)

New!Citation Information

doi: 10.20676/00000267
Citation Format: Chicago | APA | Harvard | IEEE

OCR Text

旣に其の人民がトルコ種であったことを認むる以上は、其の國人と安那に來て佛教の宣傳、佛典の飜譯に從事し
らうと見るのは、一齣至當の見解と云ひ得るであらう。伴しな族の間には、康居の民族より商人僧侶を出したことは疑はしく、或は此等の高僧は康
遊牧を業とする勇悍の民であって、かゝる民族と康居と康國を同一視して居るから、此の時代に出來た此等の僧侶は此の問題に深く入
の人であったのを、南北朝時代からは康居と康國との間より商人僧侶を出したことは疑はしく、或は此等の高僧は康
書にも、澄に之を康居の人と書くに至ったのではないかと疑つて見なければならぬ。 こには此の問題に深く入
ることを避ける。

トルコ族として一大飛躍の時期を史に刻するに至ったのは、漢史に謂ふ所の突厥の興起である。此の部族と佛
教との關係は史籍の上に記されて居る所から見ると、極めて緣故の薄いものゝやうである。
突厥の興起の初頭から匕に東西の兩部に分けて見ることが出來るが、その東部のものに即ち漢史に東突厥と
ふものについては、隋書突厥傳に次の記事がある。
突厥中、因謂化曰、齊國富強者、佗鉢赤射齊兵、遂誘行佛道、但不生內地、以因緣果報之事、佗鉢開而信之、
淨在澄覺嚴等經拜師徒、此の時代に於て突厥の佛教が其の部に傳へられたことは疑無いが、然も之が其の後如何
間在位したかは全く不明であって、恐らく、時的の現象に過ぎなかったらうと思ふ。