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0558 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 558 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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寺に據って、羽田博士史學論文集を信ずるものが少しも無かったとい、ふ如き見方をするものではない。かかる問題について、直に回僧人には常時佛教を信ずるものであったらう、と想像すべき餘地は充分に認めるが、それにして
も、概して言は、彼數の中には或は常時佛教徒でなかったことに面疑ひないと思ふ。茲に於てか疑問は日から所
謂回僧交の佛典と稱せらるゝものに向けられねばならぬ。

回僧人の佛教に歸依した影跡が少くとも唐代の末、第十世紀以前に存しないとすれば、新疆や敦煌から出た多くの所謂回僧交佛典なるものは、自然の結果として認めて居る所と相容れない。勿論此等の佛典中、敦煌の佛洞から出たものも、併しながら
一部分、または新疆から出たものにも、沙中より發掘せられたので、特別の論外で問題の下に保存せられたもの、例へ
ば露西亞のマロフ氏が發見した金光明經の如き、遂に後世の書寫に成りしものは、何人もそれを唐代のもの、七世紀八世紀の漢文を始め、其の他の番の近邊佛語地の沙中より、他の時代に現れて來る回僧交佛典については、何人もそれを唐代のものと稱せらるゝもの、出ないことは遺憾ではあるが、隨處に同時の言語を用ひた文書中より、精密に見ても、二百年も三百年も時代を隔てた回僧交佛典については、一ッやニッの例ならば兎も角、此等の文書に七・八に同様の状態に於て見出され得べき答は無く、考古學者の所謂共存(coexistence)の関係上、一方には反對に回僧交佛典を七・
が、常識から考へて見ても、二百年も三百年も時代を隔てた回僧交佛典が、
のなる語を認めて疑ふものではない。

世紀頃からの年月を認めるのは至當の事である。しかし之が至當の事であるとすれば、一方には反對に回僧交佛典を七・