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0559 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 559 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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八世紀頃迄上らせる書の矛盾を感ぜねばなるまい。九世紀の後半に於て始めて高昌に拠り、而してこゝに據つた後にも摩尼教の信仰を固持して居つたと思うならば、何人もその矛盾の名を冠する佛典に七・八世紀に頻着なく、而して一國に回鶻女佛典といふ稱呼を登重して疑はざる人々をして此の矛盾を解釈せしむるならば、恐らくは回鶻人の一部は九世紀の後半、委しく言へば威通七年以前、旣に早くより高昌に住み、また早くより佛教を信奉してゐたもので、此等の人々の愛したものが即ち仏典であり、旣に早くに帰するであらう。自分は此の常識的見解に対して現角の言識費才前に、先づ回鶻女佛典なるもの、稱呼について考察して見やう。

露西亜のラドロフ(Radloff)氏は一九一〇年所謂回鶻女の佛典 Tisastvustik の翻譯を出刊したが、その前序第五頁に於て、「茲に刊行する経典の言語は何であるかといふと、回鶻文の経典といふふと、回鶻文字で書いてあるから之を回鶻語と稱することが出来るばかりだ」といふてゐる。即ち回鶻文によるのは言語によって書かれて居るが為に特に回鶻語と名附け得るに過ぎない。これは頗りラドロフ氏のみならず、其の他の人の考ふる所に無くして、単に回鶻文と稱せられるものは聞の他のトルコ語の女語との間には著しい区別の存するものではないので、漠北に於する有名な闕特勤や敦欲谷の碑文に見ゆる突厥の言語と、音韻も語法もほゞ同一であって、それでラドロフ氏は前に述べた所に続で、「これは必ず天山の北方トルコの交女語と共に同時に發達したもので、種々の回語を用ひて居つたトルコ族によって、共通の女語として用ひられたもの

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