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0560 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 560 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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である」と説いて居る。既に回鶻文といふものと、他のトルコ族の文語との間に相異れる點が存ずず、たゞ回鶻文字で書かれて居る故に此の名稱が生じたものであるとすれば、茲に進んで回鶻文字といふものゝ性質を攷究して見なければならぬ。
 所謂回鶻文字が回鶻人によって用ひられたのが何時であるかを論ずるものは、以前には必ず外蒙古オルホン河畔の第三碑として知らるゝもの、即ち此の河谷の嚴厳のカラ・バルガッソンに在る回鶻の愛登里囉汨没密可汗聖文神武碑とといふものを引き、此の碑には漢字の外、更にそのゝ一面に回鶻文字が見えるから、此の碑の建設せられた時には、既に於於於回鶻文字は前に行はれた突厥文字、使用せられたものと考へた。一例をトムセン(Thomson)氏の説に求めると、氏は漢北に回鶻文以前に行はれた文字と、一面に突厥文字との変替期を論じて、
「突厥の國が西紀七四五年に回鶻に覆された後も、突厥の文字は更に巧な形で存在し、かの回鶻代両紀七八四年に建設せられたと考へられるオルホンの第三碑の上にも認められる。然り此の碑文は突厥文字記されたものと見た。其の他シュレーゲル(Schlegel)と説き、八世紀の末近い頃には、回鶻字が漸次北の回鶻人の間に用ひられた時代については、皆同様の考を發表して居る。しかしながら此等の人々が一様に回鶻文字回鶻人の言語であることを認めた第三碑文字及び言語は、此に度々自分も紹介した通り、實はソグディアナの文字でまたソグディアナの言語である。一九〇九年に伯林のミュラー(F. W. K. Müller)氏の論述した所に關來一般に認められて居る。たゞラドロフ氏のみは一且之を承認しなければ此後更に之を含んで、

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