National Institute of Informatics - Digital Silk Road Project
Digital Archive of Toyo Bunko Rare Books

> > > >
Color New!IIIF Color HighRes Gray HighRes PDF   Japanese English
0561 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 561 (Color Image)

New!Citation Information

doi: 10.20676/00000267
Citation Format: Chicago | APA | Harvard | IEEE

OCR Text

用語はソグド語であるが、文字は矢張回鶻字であると主張し、⑱此の僕突は九世紀の初に當り、トルコ人のみならず
ソグド人も、遠東に於ての固有の言語を避け、単に回鶻字を用ひたものであることを証明するものだと見た。自分
は今こゝで深く此の問題を論ずることを避けぬが、要するにラドロフ氏の議
論はこゝに見たるに過ぎないもので、この文字がソグド文たることは疑を容れぬ。(たゞ念の爲のソグド文の断片
を此の碑に載せて居るが、之は此
の文字を回鶻字と見た試みた填補のもので、全く信用に値しないことである。其の原形を見るやうとすると
の文字を収めたが、摩波氏は其の著 Alttürkische Inschriften der Mongolen の附圖中に、字劃を填補したも
ぬ事は、ラドロフ氏によって字劃を填補したものをも載せて居るが、之は此
のは、摩波して居ても必ず興へなかった、⑲一顧をも直接に拓本に據りながら、無理もないことゝ思ふ。ゴーチオ(Gauthiot)氏の如きさえ
を以て菰信しに離いて居っても必ず興へなかった、一顧をも直接に拓本に據りながら、無理もないことゝ思ふ。
かゝる次第であるから、今日に於ける第三碑は此の文字が同個人の行はれた場合があるかといへば、少とも今日知られて居
しない。次第では其の外に漢北時代に於ける個人が此の文字を使用した場合があるかといへば、少とも今日知られて居
る所では、一としてその例証は存しない。然も反對に彼等が従来の突厥文字を用ひて居た証拠は今日知られて居る⑳
ラムステッド(Ramstedt)氏が Zwei uigurische Runeninschriften in der Nord-Mongolei として発表したもの⑳
はそれで、其の中の一は回鶻人の作った突厥文字の墓誌で、點哈斯人の子にして回鶻に在った Jochkur kan ata
の爲にしたものである。其の中の一は時代は明らかではないが、文中記載の雪實斯から見れば、摩尼教の回鶻に輸入されてより後
のものであることは疑無い。また第二のものは唐書に葛勒可汗薨逝と記され、天寶六載(747)より乾元二年(759)
のものであることは疑無い。

四九九