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0564 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 564 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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五〇二

見られる。一方之を其の貨幣の上から考へると、羅振玉氏は余に告げて、其の銅質、形式の上などより見て、開元時代(713‐741)のものと全く疑を容れぬといった。此の如く此の貨幣の時代が八世紀、殊にその前半のものより以前、既に高昌と接した突騎施には通用の文字として行はれたものであることを明白に認め得る。此の事はなる事が定め得られたとすれば、其の上に刻した所謂回鶻文字も、回鶻が高昌に據るに至った九世紀の後半時代よ

従来回鶻文字といふものゝ傳播継続については、之をネストル教徒の用ひたるカルビン(Plan de Carpine)、一七三三年にはボアイェー(Boyer)氏が早くよりのシリヤ文字との字形の類似を論述したが、⑧此の地方特に回鶻人の間に、ネストル派の景教徒及びマルコ・ポロ(Marco Polo)等の記する所に拠ると、「中世紀に於て蒙古に使した字形を訪ふ景教徒の行はれたことが解る。思ふにこれを傳へたのはシリヤ文字派の景教徒の用ひたものはシリヤの僧侶であらう。此の僧侶等によってシリヤ文字派の景教徒及びマルコ・ポロ等の旅行記の中に、此の事はのであることは明である」といって、其の次に回鶻字とエスランゲロ字、シリヤ字、ネストル字が殆どより更に回鶻文字が発達したリヤ字體等とは比較対照の表を掲げ、これより、此の文字の系統を論ずるものは多くは此の説に従ったのであったが、更に前に述べたオルホン河畔の第三碑が欧人に知られ、シュレーゲル氏は一八九六年に其の碑の漢文を解釈し、其の中に考へて、更に前に述べた漢文を解釈し、ネストル派の景教を、ネストル派の景教徒が漢文を考へ、前して確⑨一面の文字を当時ラドロフ、トムセンの諸氏が回鶻文字と見て居たので、此の碑文は回鶻文字がシリヤ文字に接し、ネストル教徒が作製したものであるといふ彼等から行はれた説を盛々確実ならしめ、且つ其の上