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0566 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 566 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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存立の餘地無きものといはなければならぬ。第二の理由は繰り返すまでもなく、碑文に記さるゝ新宗教はネストル
教で無くして摩尼教であり、また其の文字は囘鶻字で無くしてソグド字なること、前述の通りであるから、これも
また成立すべき評であるから嘗て一般に信ぜられた囘鶻字の淵流に關する説は全く根據を失つたも
ので、其の系統と製作とについては、今や全く別の説明が加へられることに成つた。

一九〇七年に、ミューラー氏は早くも囘鶻字はソグド字を應用したものに外ならぬと説いたが、ついでゴーチ
オ氏は一九一一年にソグド文字に關する諸説を發表して全くミューラー氏に賛し、ソグド字は中亜から搜せらる
楷體の囘鶻文字は其に最も近く、其の相違はソグド字が比較的古典的性質を有する點に在りとして、「一々の文字につい
て其の所論を確かめ、遂に之を以て摩尼教徒の用ひたソグド文字から發達したものであることを論定した。かくて今
日では獨佛の學者は囘鶻字を「若きソグド文字」(後のソグド文字)とも呼ぶことになり、廣く一般の學界から認
められて居る第者は囘鶻字である。

以上述べた客觀によつて、所謂囘鶻文字なるものは摩尼教徒の用ひたソグド文字に出で、而して八世紀の前半には
既に高昌に援した突騎施方に於て行はれて居たものであることを明にした。突騎施の根據地として知られた碎葉城地方
はソグディアナと共に早くより摩尼教の一派が見らるゝマズダク派の行はれた處であるから、此の文字もまた此の
教の僧侶の傳ふる所となつて、何時からの事か到然と認め難いが此の地方に行はれたものであらう。