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0588 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 588 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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舞樂の渾脱といふ名稱につきて

我が國に行はれた舞樂の中に、"又作"渾脱と稱する樂のあつたことはよく知られて居ること、豐原統秋の體源
抄にはこれを林邑樂に見るとして信を難き點があり、もしくは梵邦の僧佛哲に依りて傳へられた旨を記して居る。併しながらこれを林邑樂と見るこ
とは信を難き點があり、もしくは梵邦の僧佛哲に依りて傳へられた旨を記して居る。併しながらこれを林邑樂と見るこ
とは信を難き點があり、その韻義と共に放究を加ふべき問題であると思ふ。
我が舞樂が支邦から、もしくは支邦を経て傳來したものであることとはいふ迄もない。さて支邦の書物に渾脱とい
ふ名稱の見えるのは、目の知る限りに於ては、唐の名臣長孫元忌、官渾脱鞴倒、人多效之、謂之趙公渾脱、とし、服妖子
る。新唐書卷三十四、五行志に「太尉長孫元忌、以鳥羊毛、官渾脱鞴倒、人多效之、謂之趙公渾脱、とし、服妖子
一つとして掲げてゐる。渾脱といふ鞴倒といふことか、渾脱及び鞴倒と解したいことか、何れとも初めの
然しないが、渾脱といふ鞴倒といふやうに考へる自分は、この場合これを渾脱か、渾脱及び鞴倒と解したいことか、何れとも初めの
長孫元忌に依つて流行の端を開いた渾脱鞴倒は、その異樣なる特徴に由つたのでもあらうが、新たに一類の帽子
として用ゐられ、これを用ゐて演じる舞を、遂に渾脱舞と稱することになつたと思はれる。即ち前掲書卷百八十九
下郭山禪の傳に、「中宗數教文學士、與之宴集、嘗各效伎藝、以爲娛樂、工部尚書張錫爲諮容妖妝、長孫昕作
大匠祭司觀經鞴、」と見える。通鑑紀二十五、中宗景龍三年二月壬寅の條に記したこの事實の朝廷に、「長孫元忌將作

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