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0589 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 589 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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以鳥羊毛爲渾脫氈帽、人多效之、謂之趙公渾脫因演以爲舞、と見えて居る。この景龍三年中宗の宴集の際に演ぜら
れたといふ趙公渾脫を被った舞は實はその以前に世間に流行し、當時吐蕃の士をして懸念せしめたものと見え、唐會
要卷三十四所載、神龍二年三月呂元泰の上疏には、「比見都邑城市競爲渾脫、駿馬胡服、名爲蘇莫遮、以軍陣之
勢、列陣鬭勢也、騰逐喧鬧聲之象也、……胡服相率爲渾脫、名曰蘇莫遮、旅旅相當
軍陣之勢也、騰逐鬭勢之下」云々といってゐる。この上疏は新唐書卷百十八宋務光傳にも、多少文字の相違があって、彼此を
勢、列陣鬭勢之下」云々といってゐる。この上疏は新唐書卷百十八宋務光傳にも、多少文字の相違があって、彼此を
て居るが、それには「比見坊巷相率爲渾脫、駿馬胡服、同呂元泰の上書は末尾に於て、同じ呂元泰の上書として附載され
(の別の上書は末尾に於て、同じ呂元泰の上書として附載され
補ふに足る外、略ぼ同一である。(但し後者は末尾に於て、同じ呂元泰の上書として附載され
り、胡服を纏ひ、駿馬に跨り、胡旋舞、骨鹿舞して軍陣の勢を示した舞樂が大に流行したことがわかる。凡そ唐代には、
この頃及びその前後に、胡旋舞、骨鹿舞、乞寒戲等諸種異族の舞踏が大流行をしたのであって、この舞も單に渾脫
斑側のみならず、舞そのものも異舞踏か、もしくはそれに則ったものであったことは、この上書に
つてもも察知し得られる。

然らば渾脫とは如何なる義であらうか。葉子奇の草木子(卷之四、雜俎篇)に、「北人殺小牛、自脊上開一孔、逐旋去内
頭骨肉、外皮皆完、抹軟用以盛乳酪酒漿、謂之渾脫」と見える。(卷之四、雜俎篇)に、「北人殺小牛、自脊上開一孔、逐旋去内
別まった外義をすべて渾脫といふのか、或はその乳酪酒漿を盛るものに限ってかいふのか、この文だけではな
ほ確かでない。ところが別に南宋の遺臣鄭所南の心史所載、大義略敍を見ると、蒙古の刑罰について記し、「斬蹦
又酷、或生剝訓人身皮曰渾脫」といってゐる。前引草木子の文を參考してこの記述を解すると、これも矢張り剥人

舞樂の渾脫といふ名稱につきて

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