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0599 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 599 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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初より以後のものは一つもない、同一壁上に書いてある色の土台など、掘りつけた磚交など、その様式や年代を属
別するこ とが出来るが、その最も古いものは五世紀六百年頃に北方交客を一派に統した魏の時代の絵画の如きもので、近頃シャ
ヴァンヌ (Chavannes) 氏が山西河南などで研究した彫刻と同じく、此時代の優秀な世間に示すものである、五世紀六百年頃
る為めに此時代に作られたものである、立派な極彩色の祭壇の如きも、中の佛像を祭

て居る。

自分はヲルムチに滞在中に、千九百年に教師の佛洞の中から交書を發見したいふことを聞き、また此地に居ら
る、端都士からは、その時に出たものだといふ八世紀頃の寫本を貰った、その發見の次第は、道士 Wang-tao
といふものが、ある大きい佛洞を掃除した所々次の小洞を開いて見たところが、偶然澤山の書物を見付けたの

此外には九世紀のものが最も多い、しかしほゞ魏の
時の如く立派なものは認めることは出来ない、気品も衰
へ、手法は抽く輪廓の線が非常に聞くなり、線はそうして膨
着して居る、十一要するに唐末の美術のデカダン期に膨する膨
である、十一世紀以後も千佛洞には非常に旅人が来たけれども
仕合せなことには十八世紀の終り頃迄は、之を修繕する様な
篤志家がなかった。

遺書の發見について地理學會の歡迎會で次の様に演説し

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