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0606 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 606 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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どを持て暗黒の歴史は、此の値から考へれば、非常な進歩をしたといふべきである。
事実と暗黒の歴史は、此の値から考へれば、非常な進歩をしたといふべきである。
文字と暗黒の歴史は、此の値から考へれば、非常な進歩をしたといふべきである。
文字を用いて、日常生活を営んでおったかについてすら、おぼんげな概念も與へ得なかったものである。しかるに今日では、前述のように不可解とされた言語も、漸く明らかとなり、その文書を讀解し得るに至った結果、ここに土着生活をしておった民族は、インド、ペルシャから歐洲一帶にかけて住むものと同一型、もしくは似たよって従ってを人種である事が判明した。古く支那に従属する人々で、彼等は匿にそれん〳〵自分の國語に飜譯した経典を持ようてたものだ。

従って今日ここに残され、蒐集されるに至った文化は、また古代美術はこの人種の愛好する所だったので、近代の補修の上に見えるものとは、性質がちがい、諸方の千佛洞にある古代美術はこの人種の愛好する所だったので、近代の補修の上に見えるものとは、性質がちがい、諸方の千佛洞の美術の上に、古く或は佛教と共に流れの波及であった。此の地方の昔の美術にも系統があり、それはこのような人種の作った美術と限ることもできず、庫房の附近に在るキジル千佛洞の繪畫の如きも、中には シリヤのキリスト教徒の書いたものと思われるものもあり、またガンドの人の手になったものなどもあるが、それはごく少ない一部分に過ぎないからも。

支那は美術の國、繪畫に巧みな國として唐の時代にモハッド教徒の傳えてゐる一方には、同じ時代に多分隱影をつけた書を指すのであらうが、凹凸書といはれる一派の繪書は、于闐の國から其の國人によって支那に傳へら