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0611 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 611 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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も、もし然らば、なる語尾は如何に説くべきであらうか、もとより此の語に侍者の意味はあるかし其の本来の意は周圍と云ふのであらう詳しく云へば takit=iterum; in der Umgeggend (Vambéry; Etymologisches Wörterbuch s. 172) に k の訓はうたものである、それ自分は之を周圍と見て「äkitinmä」即ち「彼等の まはりに於て」の意に解釈したい、漢譯に侍者なる語が見えては問題が其意はであらうと思ふ、ともかく此の語をやう、即ち各佛の周圍によりて現はさる、一切諸天が常に敬禮するといふ格を考へ、なければならぬ。
侍者と譯するならば n なる語尾に五百菩薩一尾は勿論此處に付してはならぬ語尾アルである。
五、第十四行第一語 dkōs を「當直アル」と譯してあるがそれは dkōs と読み「多くの」の意と見る、きでである。
譯者は此の前の語 äkitinmä を「死セザル」と譯し「死せざるは学の如く譯せるなれば無量の字に該当す筈死とは限量にして生なれば無限の変化あれども体絶せるにより限量を表示するに無量に相当するのではなくして、「書きざる」といふ形容詞が「多くの」といふ形容詞を更に彫修して「書きざる無量の意の如くあることは Müller: Uigurica I. 39 に注解せられた、余も此の詩に無限、無数等の意存することは否定しない、しかしながら此の詩文けが漢譯の無多くの二語が相当するのである。dkōs に「多くの」の意のあることは Müller: Uigurica I. 39

を御覧になれば解る。
六、第十六行目第一語を ol と読んで「アリ」と譯してあるが文法の上から考へてもそんな筈はない、實際寫員及び二十二頁の右版摺を見ても明らかに lm とたつて居るではないか、lm でなければならぬ理由はもとより

五四九