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0634 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 634 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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バラ形飾りの裏に迸込んだものである。思ふにこれ等の話は天がいの一部分であらう。底部でぐつろの圓する形を成した彼れがま、三ツ足の香爐、皿、車軸の付属物らしい小ぶた、車輪らしいもの、破片、漢式鏡の破片。
 鐵類では棒、矢、くつわ。
 木類では革の残りの着いたくら、となかいその他の獸の彫刻、消炭の引火奴。
 石類ではメノウの那形のじゆずや、とぐろ巻の皿の彼片に動物彫りを付した玉牌。
 陶器類では完全な黒い形の鉢およびくろ巻の皿の彼片。その他ニハク製のじゆずや、鳥馬毛で作った動物の裂飾具、糸製の綱、黒い毛の編んだり結んだりしてある。この中には扇形の綱の覆ひの中に納めて飾りの付けたものもある。女の子らしい大きな一つの辮髮を、赤いひもで編んだり結んだりしてある。ある墓では十七も辮髮の見出されたものがある。しつ器や織物も出て居るが、これについては後に述べる。



 支那の史乗には、古来この地方に住んだ民族が、死者のために墓を営んだ有様の大體を記してゐるものが無いでは無い。史記や漢書の匈奴傳にはその葬法を記して、死者の為るには棺槨、金銀、衣しようなどを用ゐるが、土を盛あげて、ふんを作るとか、樹を植えて標しきにするとか、あるひは又喪服を用ゐるなどのことは無い。その王が死ぬ時には、王に近侍して寵愛を得てゐた臣妾の殉死するもの数十人、数百人に至るといふやうな話を記してゐる。降りには、隋唐時代の突厥とか、同じ人稱の鐵勒とか、キルギスとかいふ民族についても、それぞれ簡單ながら記事があり、實際その墓の發掘されたのもある。蒙古時代となるとこの外にまた欧洲人の記事もあって、それぞれ簡單な、やゝ委しい

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