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0648 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 648 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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コハゼをかけること面がつて、突ッかけ足袋とでもいふべき姿で室内に起坐せられた有様なども、屢々人の目に觸れたことであらう。凡そ普通にいふ「無精」は、學者の道有性とも いふべきで、この無精は忽ち、博士も日常可なり無精組で常人の驚くやうな恬蕩たるを、博士の態度風貌に接した人は、恐らく退嘆するほどに、マ、マに立ち娯られたものである。書齋に講壇に、あの恬蕩たるを、博士の態度風貌に接した人は、恐らく退嘆するほどに、マ、マに立ち娯られたものであらう。

明治四十五年三月に先に、史蹟採訪の目的で渡滿せられた博士は、泰天交滿閣の四庫全書を調査し、その未刊書の何程かを大學から派遣せられ、宮嚴内に藏する書籍を寫貢する計畫を立てられた。ところが當時の東三省總督趙爾巽氏に於ける爲に、余もまた大學から派遣せられ、四月初めに毎日赴奉した。博士目から毎日交渉を重ねられても、一向に埒が明かないで、毎日手を束ねて滿洲の機勢を寫貢の許可がまだ出て居られた時であった。あの革命の顯はこの年の末に起った事件であるか、四月頃にはまた相當困難が伴った清況とはいふべきようなことに、相當困難が伴って居たのである。外人が清室の記録を寫すに、ふやふやを案出した。それは同じ宮嚴内に五體清文鑑といふ宮嚴清文鑑といふ節略即ち新疆省のトルコ語つより外致方なく有樣で居たのであった。博士と余とは一策を案出した。それは同じ宮嚴内に五體清文鑑といふ宮嚴清文鑑といふ節略即ち新疆省のトルコ語ふまでも壓して居たのである。外人が清室の記録を寫すに、ふやふやを案出した。

る、滿・蒙・識・漢の四語を對譯した四體清文鑑までは刊行せられたけれども、これに回語即ち新疆省のトルコ語を加へ、清國五大民族の言語を惡く對照したものは、乾隆帝の大抱負に依って美事に編纂せられたけれども、まだ刊行を見るに至らなかった。その寫しが一部この宮嚴に藏せられているのがこの五體清文鑑を寫貢する許可を顧て、誠に寫貢すべき言語資料で、これを寫し摂ることはまた吾々の熱心なる希望であった。そこでこの書を寫貢する許可を顧て、誠に寫貢すべ

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