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0675 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 675 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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であったが、この頃別に博士を煩ました問題の一つは、研究所の位置を定めること、その建築とであった。研究機
制や従業員の選定は別に博士を煩はすのは止むを得ない事として、まだ
しも我慢を顧みたことともなく喜び煩られる問題の一つは、この際博士を煩ました問題の一つは、研究所
折悪しくも厳冬から春寒にかけての、老體には尤も悪條件の季節に、建築問題で焦心して貰ふことは全く気の毒の至様の儀として、まだ
て貰われた。昭和三年の末頃には、樂友會館前の向側に当時旧京都府立第一中學校敷地の東北部が、候補地として記憶
ほど定められたので、博士は何間となく府廳との間に交渉を重ねられたが、結局不調に了り、翌年二月末頃と記憶
するが、新たに北白川の新開地を相して位置を定めることになった。これが今の小倉町の研究所の敷地である。
敷地が決定すると直ちに建築の問題に入り、先ず何れの様式のものにするかを定め、それによって設計を依頼
する人を考へることになったが、これについては理事の濱田君が關心と興味を持って、この問題はすべて濱田君から色々の
意見が出て、容易に方針に讓りさうには思はれなかったので、自分は博士と話し合って、この問題はすべて濱田君中心
に考へることに方針を定めた。やがて濱田君の考案したのが大體今の研究所の建子で、その趣味の上から修
道院風の様式を選んだのであった。これは流石君のこの方面に造詣の深い同君のことであるから、今爾は多くの人が
から賞識を受けるやうな善い考案であったが、これについて気にしてゐたやうは、同君が狩野博士は鬼も角、理事の
一人としての自分が之に対して次句をいふのではないかと気になくならながら、それで何間となく自分の顔色を
く圖稿を自分の室に持って来ては、これでどうだと鉛筆をひねくりながらツラツラリと上眼づかひに自分の顔色を
見るのであった。もともと自分は洋館とへばあの箱をさしたやうな建築ばかり出来るのに恐れ入ってゐたので、

東方文化研究所・狩野博士

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