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0694 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 694 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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る初期時代の遺作を發表して、中國研究家としての慧識を認められることになりましたが、急に名聲を博する
やうになつたのは、中央亞細亞の探檢に從事してからのことであります。一九〇六年六月にパリを出發し、ロシヤ
を經てトルキスタンに入り、一九〇七年即ち明治四十年十二月に有名なる敦煌の千佛洞を調査して、古書古記錄古
畫の類を嚴別選擇し、その幾千卷を引上げたのであります。今日パリの國立圖書館や大英博物館に收藏して
あるのがそれであります。一九一一年、Collège de France として初めて開かれた中央亞細亞の言語歷史考古學講座の教
授となり、一九一四年一九一八年の臨時中には、豫備士官として精進し、一九二〇年には學士院會員 Membre de l'Institut に擧
げられ、一九二三年後の老齡林の間に伍することになつたのは誠に異數のことであります。一九三五年には亞細亞學會 la
Société Asiatique の會長、また地理學會調査長に選ばれ、別に有名な東方學雜誌通報を一九二五年以降は二列擧し稍頗で、今こ
氏と共に編輯し、この間歐米諸國の大學や學會に招かれて講演に從事して來ました。(一九三六年以降は來コルディ
エ氏と共に編輯)。この問歐米諸國の大學や學會に招かれて講演や職かなかつたものは少いというても誤らないであろ
うと思ひます。我が國には昭和十年一九三五年に初めて來遊し、この京都には六月二十日から二十五日まで滯在し、出發
れる諸國の東方學を修めるものは、どこかでその調査を職かなかつたものは少いというても誤らないであろ
当日の多忙な時間を繰合せて、昭和十年一九三五年に初めて來遊し、この京都には六月二十日から二十五日まで滯在し、出發
ありました。一昨一九四五年アメリカのハーバード大學で講義してフランスに歸つた後、二ヶ月許り病床に在つ