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0744 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 744 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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聚 樂 廻 り

古は皇城の城内後に聖父の聚樂第
ついで所司代閣下の新屋敷
上京區にあながら下京區に屬す

三條通のまん中で京は上京と下京とに分れるなどと思つたら岩井君に笑はれものだ。郵便は上京丸太町千木西入
るで立派に配達され我聚樂の家でも、お上の稱呼は下京區聚樂廻四四町八十五番地なのだから。
聚樂廻の名は有名な我聚樂第の——いやあんだものだが、家の西巽半町ばかりは一間傍りの低地烟になつて、南京丸太町に帶
の如く延びてるのだが——いやあんのだが、二三ヶ月前から頭に具いゴモタや、ドブの底土や、石炭がらのやう
なものを運びこんで。今は九分通りまで埋たてた上に、逸早く「この地所お望みの方は……」の立札が立つて、井
でもある。追つけ豆腐屋やうどん屋などが群をなら べて蟻員することだらう。豊公お茶の催しの頃とは違つて、
の、水質の詮議だてなとする要のない世の中だから、豆腐にもうどんにもゴモタクの御大将K博士が、何かの節に訪問された時
だが、一寸氣にかかるのは、この低地の埋立てそのことだ。歴史地理の御大将K博士が、何かの節に訪問された時

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