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0227 伊犂紀行 : vol.2
伊犂紀行 : vol.2 / Page 227 (Grayscale High Resolution Image)

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doi: 10.20676/00000279
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和闐拜城等に産出す。

金鑛 二

和闐伊犂西湖塔巴哈臺等は最も早くより採掘し産出も亦多しと稱す。西湖には從來官營の金鑛二箇所あり。潤怕の金鑛も共に多くの鑛夫を雇役して採掘するも何れも笨式にて交明の利器を使用するに非ざれども其の産出額は少なからず、如し例せんば和闐のみにても一歳の産出額十萬兩に達すと。又測にては其の産出一年始め英貨八千磅に及ぶと云ふ。其産出頗る多しと聞けば南北路に於ける印度に輸出す。北路に於ては他西湖羅布淖爾の金鑛産額は盛し莫大の高に上るべし。

銅鑛

帑の哈爾海岡山麓に設けて之を採掘したる乾隆四十一年千七百七伊勒圖將軍始めて銅廠を伊二千九年九百に至で伊寗將軍奏して之を哈什に轉じたり。又其後嘉慶年間(千七百五十七年百乃九二十年八十に巴燕倍或は呼巴海地方の三道河に移轉して鑛意鑛業に從事せしより其の産出潤多額に上りしが爾後幾多の變遷を經て現情の如何を詳かにせず。

第七章 産 業

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