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0331 伊犂紀行 : vol.2
伊犂紀行 : vol.2 / Page 331 (Grayscale High Resolution Image)

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doi: 10.20676/00000279
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國は雍正六年千七百三に立てし所の界標を案じ沙濱達巴哈界標の末端より西方
齋桑湖に至り次で西南に延び天山の特穩爾圖淖爾の前に順ひ次で浩罕邊界に及
ふ間の界標未定の地は山嶺に願ひ河流に沿ひふて鄰に之を決定せんと約したり。
當時兩國大臣相會同し以て全部を實査せしや否やを知らすと雖も清廷は實際に
當桑湖以西を失ひたる言ふべきからざるに在りとす。
當時清國は西南を援儆し而して東干赤西北に不幸を重ねたり。英佛の同盟軍は北京を陷
れ長髮賊は西部より新疆の東北部に最も多く住居し其の肚丁久しく清國の兵役
に服し新疆の戍兵より東干實に其の牛に居たれり。
當時甘肅の諸部より新疆の東北部に最も多く住居し其の肚丁久しく清國の兵役
由來東干は清人と和せす其の宗敎を異にするより生じて遂に
は相敵視するに至れり。同治元年千八百六二兩者の反目其の極に達する時甘州に
於ける兩民間の一小事より忽ち東干蹶起の一大導火線と爲りて火の手は甘然八
方に擧り小素の恨み報ゆべしと鬱結したる憤怨一時に迸發して滿漢人の穀城
邑の破壞等到る處亂暴猖獗にして悲痛慘憺を極めたり。乃ち甘肅新疆は全く修

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第十二章 歴史の大要