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0333 伊犂紀行 : vol.2
伊犂紀行 : vol.2 / Page 333 (Grayscale High Resolution Image)

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doi: 10.20676/00000279
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光緒元年(千八百七十五年)左宗棠は伊犂將軍塞全烏魯木齊都統金順西寧道臺劉錦棠等
と兵を會し瑪納斯城を陷落す。蓋し瑪納斯城は堅固無比回匪の據て以て死守
する所攻圍二箇月に亙り彼我の死傷算なく清兵只其の老幼婦女を釋す
る所匪を悉く斬り濃峻安得磚子比固'屍韓兵の殺す所と副し左
外回匪は之を鼻く帋に之を繼しも威望阿爾阿古伯ありて其臣金幕搭の解せんとするに際し左
と共に之を鼻く帋に之を繼しも威望阿爾阿古伯は其臣金幕搭の解せんとするに際し左
宗棠が新位を奪らす且つ内疝に抗し得べん彼は途に露境に走れり。是に
りて清棠は全勝の勢に對して全部新疆を恢復したり。
至翌四年左宗棠は兵約三萬復を南北兩路に分屯せしめ彼を露將カフマンに道し請
求するに伊犂其他の侵地返閩と全權大使に擊翌年露京に着し姓
を協すべくあらす。因て清廷は崇厚を特命全權大使に擊翌年露京に着し批
安協すべくあらす。因て清廷は崇厚を特命全權大使に擊翌年露京に着し批
に所謂「リヴシャ」條約を議定し崇厚條約中不利の條項多かりし露京一齊開戰論
に傾きたり是に於て清廷は開戰奏議を上り李鴻章を除くの外は廟議一齊開戰論
准するに至らす。左宗棠は開戰奏議を上り李鴻章を除くの外は廟議一齊開戰論
に傾きたり是に於て清廷は駐英公使曾紀澤を全權大使に任じ更に露京にて新に

第十一章 歴史の大要

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