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『東洋文庫所蔵』貴重書デジタルアーカイブ

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0203 伊犂紀行 : vol.2
伊犂紀行 : vol.2
伊犂紀行 : vol.2 / 203 ページ(カラー画像)

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doi: 10.20676/00000279
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唐の高祖使を遣はして修好を求め亞剌比亞國王其の族霍爾第蘇哈笞及甘古士を
来朝せしめたるは實に西暦六百二十八年〔貞觀二年〕とす。太宗之を留め一寺を廣東
に建てゝ居らしむ。後ち支那回々教蘇哈笞は哥蘭經を奉じ専心布教に従ひ多くの信
者を得るに至る。是れ亞剌比亞商人の来たるを始とす。
 又天山南路に傳敎したる者は此時或は少しく其の以前即ち六世紀の末年なるべし。
次で東方にも古来同敎盛に行はれしものに天山南路より赴きたるに考ふれば唐朝始
め雲南地方海口より入りしものには亞剌比亞宗敎に歸依したるは西暦七百年代に在りて天山南北
新疆土民の多くパイバ、ホメットに敎に歸依したるは西暦七百年代に在りて亞剌比亞
の名將タイバ、ホメットに敎を流布したる者なり。當時亞剌比亞宗敎軍の勢甚だ強くカシガ
を攻略し同敎を流布したる者なり。當時亞剌比亞宗敎軍の勢甚だ強くカシガ
ルを以東は忽ち亞剌比亞所と爲り、しもり和闐人は稀く之に抗敵し兵を用ゆること
と二十五年遂に亞剌比亞軍の勝を制する所となり、獨り和闐人は稀く之に抗敵し兵を用ゆること
く戰死し其の墳墓今に和闐葉爾羌邊に遺り土人は之を齋旦と呼びて登崇す。

第五章 宗敎

天山南路
に於ける
傳播

新疆土民
の歸依

和闐人の
且諄依依と


一〔XII〕