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『東洋文庫所蔵』貴重書デジタルアーカイブ

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0314 伊犂紀行 : vol.2
伊犂紀行 : vol.2
伊犂紀行 : vol.2 / 314 ページ(カラー画像)

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doi: 10.20676/00000279
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せしも班勇の死後都護遠に人を得ず鑑めに西域再び叛くに至りたり。
三國魏晉代〔三百年代〕に在ては烏孫及鮮卑著はれ北魏〔四百年代〕に在ては突厥鐵勒都督等最も盛なり
般般高車坤〔五百年に在ては烏孫〕其の威を逞うし後周〔五百年〕に在ては突厥
悦般高車坤其の威を逞うし

唐六八百年代に大都護府を南北兩路に置き其の一を後庭縣木鷺鑾に、他を蠶絲廬車に建て、各國悉之に屬せり。此間後々突厥の威諸國を壓し次で吐蕃通南につ起して各國悉の元和二年〔八百〇七年〕に至り亞刺比亞の商人悉諸嶺を越えて南路と通商し前路に侵入し各地を攻略し激烈なる宗教戦につき切に回数を流せんとす亞刺比亞の宗教軍はマホメット教は佛教徒たりし鑑の宗教は久しき互に宗教戦を創りしが遂に亞刺比亞人の勝利に歸し二十五年間の士民猶くに反抗を試みたり路に侵入し各地を攻略し激烈なる宗教戦につき切に回数を流せんとす亞刺比亞の宗教軍はマホメット教は佛教徒たりし鑑の宗教は久しき互に宗教戦を創りしが遂に亞刺比亞人の勝利に歸しめに二十五年間の士民猶くに反抗を試みたり

唐宋時代

宋の乾德四年〔九百六十年〕に布格拉なるものあり回教を以て起り後兵を率て慈嶺を超へサマルカンド地方を征し大勝を得て凱旋するに及び其人民を憐

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