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0140 Études sur l'Art Bouddhique de l'Inde : vol.1
Études sur l'Art Bouddhique de l'Inde : vol.1 / Page 140 (Grayscale High Resolution Image)

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doi: 10.20676/00000287
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なかつたもので、其の宗教建築などは遙に此處に迂囘をさす程の物ではなか
つたらしく、裝僃なども遙案外幼稚であつたものと思はれる。西域記を見ても、
法師は矢張り東に遡み迦畢試の首都に向つたもので、東南カーブール方面に
進んだものとはなつて居らぬ。
 前記兩路の他の一線は此の地點では現在のトルキスタン本道となるもので
右に折れてカーブールに行く風景絶佳の一聯の近道と分れてから、兩個に聳える巖の
斷崖に挾まれて東北の方向に一聯の隧路となり屈折してゐるが、バーミャーン川に沿うて進み、
暫くの間は東北クンドズ方向にも屈折してゐるが、バーミャーン川に沿うて第二
宿にのシュンブール Shōmbul で東の方から流下する細流に沿うて路谷に
入り、比較的鋭な坂道となつてシーパル Shīpār 幹稜高三〇〇米突の西傾
斜面を登つてゐる。玄弉法師が越えたと云ふ黑嶺嶺、彼れの傳記に依ると道に
迷ふやうにも思はれる其の山は、此の邊稜中にあるものと認むべきで
ある。此の稜線は左程高くはないが、それでもオクサス Oxus インダス Indus
兩流域の分水嶺となり、法師の時代にはバーミャーン王國とカビシャ國屬嶺

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